さよならのこころ scene01:はじまりの日

2008.02.15
「なあ、直樹。遺書、書いてみないか?」
「は?」
 ぼくたちは十二歳で、あと一ヶ月ちょっとで、中学に入学する。もう、死の概念は知っている。けど、リアルじゃない。親しいものの死はまだ経験していない。よく知ってる人が死んだときの、フィクションならありがちの、堪え切れず零れるような涙は知らない。遺書などという言葉は、教科書よりも遠いのだ。
「遺書だよ。死ぬ前に、財産の分け前とか、あれこれ書いとくやつ」
「知ってるけど、ぼくたちには財産なんてないし。っていうか、死ぬのはまだ先だし」
「直樹は明日、事故に合わないっていう保証できんの?」
「事故なんて、あるわけないじゃん。大地、考えすぎ」
「保証なんて誰もできないよ。明日、死ぬかもしれないんだから」
 エアコンが効いた暖かい大地の部屋から、急に凍てつく外へ投げ飛ばされたくらいの衝撃だった。ざわりと寒気が走る。
 大地の言葉でなく、大地の目が怖かった。マジをたくさん含んでるみたいで、ぼくは怖くて、慌てた。
「ちょ、待って。なにいってんだよ。大地、なんか変」
「おれが普通じゃないのは、おまえがよく知ってるだろ?」
 大地がにやりと笑う。
 大地は普通じゃない。
 普通じゃないっていうと、へんな誤解を生むかも知れない。変わってる、というのが正しい。
 大地は人と同じことが嫌いなのだ。小さい頃から、みんなが選ばないことを選ぶ。やさしい道をいかない。自分で選んだことは、なにがあっても全うする。
 カッコイイと思った。
 ぼくは、そんな大地に憧れていた。ぼくにはできないことをさらりとこなす。小さな頃から憧れていた。
「それでも、遺書なんて、子どもが書くもんじゃないよ」
「だから、その子どもが書くのが、カッコイイんじゃんか」
「カッコイイっていったって、なに書いていいのか、わかんないよ」
 大地から差し出された紙を、視線でなめる。
「なんでもいいんだよ」
 大地が笑う。くちびるの端っこを持ち上げて、大人みたいだ。
「大地」
 声が震える。怖くなって、手を伸ばす。ぼくよりずっと逞しい大地の腕を掴む。
「なんだよ?」
 大地が消えてしまいそうな気がした。遺書なんて、突然いい出すからだ。まとわりつくような不安が気持ち悪い。
「あの、さ」
「あ、わかった。おれのケータイはおまえにやる。ちゃんと書いとくからな! 安心しろよ」
「バカ! なにいってんだ」
「直樹、アレ気に入ってたもんな」
「おまえがじいちゃんになる頃にはもっといいのが出てるよ!」
 大地が笑う。いつものからりとした笑い声をたてる。大地の服を掴んでいた指から力が抜ける。
「直樹、おれは大丈夫だ」
 どくんと心臓が跳ねた。
「なに、それ」
「なんでもねえ。ほら、早く書けよ。書いたら封筒に入れて糊しろよ」
 それが、笑う大地を見た最後の日だった。