ドールを壊せ!

2006.05.31
 誰もが勘違いしている。
 ユウヤは、みんながいうような不良なんかじゃない。人形なんかじゃない。
 ユウヤは、小学校四年のとき転校してきた。女子は格好いいと騒いだ。切れ長の目は、まっすぐに人を見る。その視線には、力があった。けれど、ユウヤは、いつも一人だった。
 ユウヤの持つ独特な雰囲気は、初めて会った人を惹きつける。少しでも近づきたくなる。そして落胆する。期待したような反応を貰えない。憤慨する。そんな奴らは、みんな同じことを言った。
「何考えてんのかわかんないじゃん。顔が命の人形なんだよ。人の心なんてない」
 噂は、悪い方へ転がっていく。あいつは不良だから近寄るな。いつしか、そんな話になっていた。教室の隅で、つっぷして眠るユウヤを、綺麗なだけの人形だと、思っていた。
 五年生の夏が始まる。午後の陽差しが眩しい図書室で、ユウヤをみつけた。隅の机で静かに寝息をたてる。その表情がふわりとほぐれた。子供のように微笑む。そして、閉じられたまぶたの端に、光る粒が溢れて、ぽろりと零れる。息を止めていた。動けなかった。
 人形は夢を見ない。人形は泣かない。目の前にいるのは人間なんだ。生きてる。他のみんなと同じように、何かを抱えてる。他人の言葉で人を判断しているおれたちがおかしいんだ。自分の中で、ユウヤが変化しはじめた最初の日だった。
 夏休みを前に、クラス対抗マッチが開催される。各クラス四人ずつリレー選手が選抜された。ユウヤとおれも入っていた。
 クラス対抗の練習が始まる。リレーは、第三走者がおれ。そしてアンカーがユウヤだ。おれは一度大きく深呼吸し、ユウヤに近づく。
「湊。バトンの練習やろうぜ」
 湊優也の名前を、初めて呼んだ。ユウヤがおれを見上げる。ユウヤが、いいよと返事をくれるまで待った。心臓の鼓動が、気温とともに、ぐんぐん上がった。
 校庭のトラックに用意されたリレーゾーンで、バトンを渡す練習を繰り返す。
「湊。振り返るな。和人が入ってきたらそのまま前見て走れ」
 体育の先生がユウヤを指導する。他のクラスのリレー出場者を見ても、みんな足の速さは同じくらいだ。バトンを渡す瞬間が鍵になる。ここで失敗すれば、順位は軽く入れ替わる。ユウヤとおれは、何度も練習を重ねた。それでも、ユウヤは後ろを見る。きつい眼差しが不安にゆらぐ。そのたびに胸が痛くなる。でも、このままじゃだめなんだ。リレーも、ユウヤも、おれも。
 十分な結果が出せないまま、クラス対抗マッチの日はやってきた。ここまで、うちのクラスは総合二位。最後のリレーで勝てば、優勝できる。みんながトラックの周囲に集まる。おれは、ユウヤの腕を軽く引いた。おれよりもほんの少し背の低いユウヤの耳元に顔を寄せる。
「湊。今だけおれを信じろ。絶対にバトンを渡すから。前だけ見て走れ。頼む」
 パンッとスタートの合図が響く。第一走者がスタートを切る。歓声が湧く。ユウヤの返事を待たず、おれはリレーゾーン近くへと向かう。興奮している。抑えるようにゆっくりと呼吸する。ぎゅっと、拳を握る。
 目の前で、すべての走者がほとんど同時にバトンを渡していく。おれのクラスがほんの少しミスをして、出遅れる。あっという声が上がる。四組中三位で、第二走者がいく。軽くジャンプして、体をほぐす。ラインに立つ。そしてユウヤを見た。視線がぶつかる。もう一度、信じろと、唱える。
 二位まで追い上げたところで、おれにバトンが渡る。そのまま前方をいく一組の第三走者の背中を追う。土を蹴る一足一足に力を込める。追いつきたい。五十メートル先で待つユウヤの姿が視界に入る。ユウヤがこちらをじっと見る。スピードを落とさずリレーゾーンに入る。
「ユウヤ!走れっ!」
 叫んでいた。歓声が響く。ユウヤが走り出す。前だけを見て、走る。おれは、差し出されたユウヤの右手だけを見ていた。信じろといった自分の約束を果たすために、そのたった一瞬にすべてを集中する。
 その瞬間、音が消えていた。バトンの渡る確かな感触が手に伝わる。気づくと、ユウヤはもう第一コーナーを過ぎ、数メートル先を走る一組のアンカーを追っていた。ユウヤが加速する。それでも距離は縮まらない。ゴールまで、あと十メートル。ほんの一瞬のはずのその距離が、ひどく長い。ユウヤ!と叫ぶ。
 ゴール直線で、ユウヤがわずかに抜いていた。テープを切ったユウヤが笑い、人形は壊れた。
(了)