遠き春よ(その3)

2011.03.26
 街外れにある小さな公園に、笑い声が響く。
 午後一時二十分。
 湊が件の公園に着くと、黄色のテープの向こう側に、実に楽しそうな光景が待っていた。
「あ! 遅いですよ、先生!」
「あんたが一時って言ったんじゃないか、おっさん」
 二人の能力者のうち、沙耶は、砂場とジャングルジムの間にあるベンチに座って、水筒から紙コップにお茶を注いでいた。今日は目立つ巫女装束だ。
 沙耶から受け取った紙コップを掲げ、遠藤刑事は柔らかな笑みで軽く頭を下げる。まるで、お先に一杯やっています、といった風情だ。
 ユウキは、手に赤いシャベルを持っている。昨日、湊が桜の根元を掘ったときに使ったものだろう。その隣には、金色の長髪を後ろで一括りにした体躯たくましい男が、大きな袋を肩に担いで立っていた。
「おう! 先にやってるぜ」
 湊を見つけると、男はニカっと笑った。
 年齢は三十代。半纏、腹掛け、股引、手甲に地下足袋を身につけている。すべて藍色に統一された装いは完璧な日本の庭師だが、その顔は金髪緑目の西洋人である。アンバランスなはずなのに、何故かしっくりと纏まっていた。
 昨日、掘り起こした土の山が消えていた。すでに片付けたのだろう。
 湊は、彼らのところまでやってくると、沙耶の横に広げられた朱塗りの重箱を見つけ、一つ溜息をついた。
「まだ趣味の和菓子作り、やってるのか? アル」
 重箱の中には、桜色の道明寺が綺麗に並べられている。丁寧に巻かれた桜の葉の塩漬けから、芳香が広がる。
「今日は花見だってオマエが言うからな」
 アルと呼ばれた庭師の青年は、肩に担いでいた袋をドスンとおいた。穴を埋めるための新しい土が入っている。
「お花見? 花はまだ咲いてないけど」
 ユウキは古木の隣にある二本の桜を見上げた。蕾はついているものの、まだ綻ぶ気配はない。昨日と同じ、固く閉じたままだ。
 そんなユウキの頭を、アルは大きな手でぐりぐりと撫で回した。茶色の猫っ毛をぐしゃぐしゃにされたユウキが、「やめてよ〜、アルフレッドさん!」と情けない声を出す。湊が来る前に、すでに自己紹介は済んでいるようだ。
 じゃれ合っている二人を横目に、湊は遠藤刑事に視線を移した。
「午前中のうちに、すべて終わりました。確認も取れましたので、進めてくださって大丈夫です」
 遠藤は、湊が何かを問う前に、事件についての報告を述べた。
 湊が軽く頷く。
 そのやりとりを横で見ていた沙耶が、「遠藤さん、すごいですね。先生の言いたいことがわかるんですか?」とキラキラした眼差しを遠藤に向けている。
「いえいえ、そんなことは・・・」
 と、遠藤は照れたように笑った。
 件の古い桜の樹は、今日は薄く邪気を絡みつかせてはいるだけで、そばにいる者に襲いかかることはなかった。
 昨日より暖かい陽射しが、公園をたっぷりと満たしている。
 湊はすべての準備が整っていることを確認し、庭師のアルの名を呼んだ。
「アル、始めてくれ」
「おう」
 アルは、すでに用意されていた大きな袋の口をあけ、穴に土を入れる準備を始める。
「沙耶、ユウキ」
 湊が二人を呼んだ。
「「はい」」
 湊の前に二人が並ぶ。
 沙耶の手には梓弓が携えられ、ユウキの左手には数珠が握りしめられている。
 湊は沙耶からユウキへと、ゆっくり視線を移した。
「こいつを浄化してくれ。方法はまかせる」
 湊の指示はとても簡単なものだった。
 二人は、きょとんとした顔つきで、湊をみつめている。
「どうした? 浄化は得意なんだろう?」
 煽るような言葉が、冷たく二人に触れる。
「先生、なんでですか?」
 沙耶の綺麗な眉がきりりとつり上がる。
「確かに私たちは浄化しかできませんが、そんなことをしたら桜の樹が枯れてしまいます。昨日、ユウキくんが言ってたじゃないですか!」
「そうだよ! それに原因だったものは、昨日、取り除いたんだ。それだけで、邪気は大人しくなった。桜の樹を助けたいから、もう一度、花を咲かせて欲しいから、綺麗な土だって用意したんでしょ!」
「そうだ」
 湊の声が、二人の上に重く響く。
 アルは穴に土を補充する手を止め、三人をちらりとみた。その顔にやれやれという苦笑が浮かんでいる。遠藤刑事も沙耶たちの後ろから、静かに事の成り行きを見守っていた。
「わかってるじゃないか。だったら早くやってくれ」
「はぁ? なんだよ! わかんないよっ!」
 ユウキの顔は、もう少しつつけば泣きそうなくらい、歪んでいる。
 沙耶は眉根を寄せて、じっと湊を見つめている。湊の表情から何かを読み取ろうとしているかのようだった。
「ミナト」
 困惑する子ども二人を前に、何も言い出す気配がない湊を、アルが呼んだ。土を均す大きな鍬のようなものを置いて、湊のそばまでやってくる。
「ちゃんと説明してやれ。おまえはいつも言葉が足りない。あいつらの気持ち、わかってんだろ?」
 大きな手で、湊の頭をがしっと掴み、掻き回すように揺さぶった。
 湊は面倒くさそうに、乱れた髪に指をいれ、伸びすぎた前髪をかき上げた。
「先生」
 将来有望な能力者たちが、湊を凝視する。
 湊は息を吐き出すと、両手をジーンズのポケットに突っ込んで、話し出した。
「ここに俺たちが集まっているのは、偶然じゃない」
 遠藤刑事がぴくりと反応するが、黙って湊の言葉の続きを待った。
「この桜の怪異は、少女が誘拐、殺害された八年前に始まった。御蔭神道に最初の依頼があったのは、六年前だ。二年続けて花を付けず、子どもたちがなぜか寄りつかなくなった。実害がないっていうんで、今までお蔵入りになってたみたいだが。それが、なぜ今頃になってこっちに回ってきたのか。俺はそれが気になっていた」
「偶然じゃないなら、必然ってことになりますよね、先生」
「それも違う」
 沙耶の顔に困惑の色が浮かぶ。
「俺たちは、呼ばれたんだよ。この人に。必然ではなく、命令だ」
 湊の背後で、桜の樹がざわりと揺れた。まるで、湊の言葉を肯定するかのように、黄色く濁った気を震わせる。くすくすと笑っているようにも見えた。
「この人って、あの桜のこと?」
 ユウキの問いに湊は、昔話を聞かせてやる、と言って、語り始めた。
 十五年ほど前の春だった。
 その場所を訪れた理由は、自分でも覚えていなかった。大きくて古い屋敷のそばを歩いていた。その敷地の東南の角に、その樹はあった。
 白に近い薄い色の無数の花と淡い芳香を纏った、大きな桜だった。
 そこを通りかかった者はみな一様に息をつめ、咲き誇るの花に意識を奪われたかのようにぽかんと見上げていた。
 湊も同じように足をとめた。満開の花から放出される壮絶な美に、威圧感と軽い目眩さえ覚えた。人間が受け止めきれる範囲外の荘厳さを、これでもかと見せつけていた。
 子ども心に、ここには神さまが住んでいるのかもしれないと、湊は思った。
 そのとき、ふっと視線を感じた。
 気配を追って、ゆっくりと下げた視線の先に、その人はいた。
 桜の花びらと同じ色の着物を着た女の人だった。
 ただ、その出で立ちが普通にみる着物でないことは、すぐにわかった。時代劇に出てくる城にいるお姫様のような装いなのだ。
 黒く艶やかな髪は長く、着物と同様に地面の上に静かに広がっていた。
 薄い唇は花のがくのような桃色に染まり、肌はどこまでも白く透きとおっていた。
 この人が、桜の樹に住まう神さまなんだと、なんの疑いもなく納得していた。
 女の人は、湊としばし視線を交えると、艶やかな笑顔を向た。
「その時の桜が、この樹なんですか?」
「それをさっき確かめに行ってきたんだ。並木町の屋敷までね。昔の写真を借りて、あの樹が確かにそこにあったことを確認してきた」
「では、あの少女の家の桜だったんですか?」
 遠藤が問うた。
「八年前、あの家を訪れたときは、桜の樹なんてありませんでした。事件があったのは春でしたから、そんなすごい桜が咲いていれば絶対に忘れないと思います」
「桜の樹を植え替えたのは、オレの師匠だ」
「アルフレッドさん」
「あの辺りの道路を広げるってんで、敷地の一部を、交渉の末、市が買い取ったんだけど、そこにあの桜の樹があってな。立派な樹だったんで、屋敷の別の場所に植え替えを提案したんだが、いらねえって言われてよ。師匠が引き取ったんだよ。十年前のことだ。あのころに比べたら、だいぶ痩せちまったがな」
 アルは、その枝先にそっと触れた。沙耶たちの目には、心から労るようなアルの仕草を、邪気が受け入れているように映った。
「なるほど、ここにいる全員が、なんらかの理由で、あの屋敷や桜に関係していたんですね。それで、呼ばれたのだと?」
 遠藤は湊を見た。沙耶やユウキも湊へと注意を向ける。
「最後に、もう一度、花を咲かせたいという、あの人の強い意志が、呼んだんだ」
「最後なんですか?」
「お嬢ちゃん、この桜の樹齢がどのくらいかわかるか?」
 アルの問いに、沙耶は首を横に振った。長い黒髪がその肩を滑る。
「百年は超えてる。中には何百年って生きる桜もあるが、この桜は接ぎ木で増やされたそうだから、普通ならもって六、七十年ってところだ。とうに寿命が尽きていてもおかしくないんだが、この樹には神さまがいるからな」
「その神さまも、ここに遺体が埋められたせいで、邪気と成り果て、その力を失ってしまった。そうなんですね、先生」
「おっさんには、見えるのかよ。その神さまが」
 ユウキがぶっきらぼうに言った。
「俺にはその姿はもう見えないけど、感じることはできた。花を咲かせたいっていう強い想いみたいなものをね」
「浄化したら、最後の花を咲かせることなく、そのまま消えてしまうって可能性はないですか?」
「あるかもしれない。この邪気は、すでに桜だけの純粋なものじゃないからな。あの少女の魂も混じってしまっている。分離させるのは難しい。うまくいく保証はどこにもないんだ」
 ユウキが両手の指をぎゅっと握りしめた。数珠同士が擦れる音がギリギリと空気を震わせる。梓弓を持つ沙耶の指も、きつく握りしめられていた。
「ぼくたちなら、それができるよ。おねえちゃん」
「ユウキくん」
 二人が桜の樹に向き直る。
 作業を終えたアルは、湊の背をそっと押して、遠藤の立つ砂場の縁まで下がった。
「有能なオマエの弟子の力、とくと拝見」
「その有能は、どっちにかかってるんだ?」
 アルが笑った。
 梓弓が弾かれる。
 彼らを包む空気が震えた。

「この桜、桜餅の匂いがする」
「ソレ、逆だから」
 桜餅を頬張るユウキの一言と、突っ込むアルに、みなが笑う。
 アルの仕事道具の一つであるビニールシートの上には、てんでに好きな格好で寛ぐ五人がいた。
 アル手作りの桜餅を食べ、茶を飲み、ごろりと身体を横たえる彼らの頭上に、白い花をこれでもかと纏った桜の枝が伸びていた。
「本当に、綺麗ですね。圧倒されます」
 遠藤は首が痛くなるのも構わず、座ったまま顔を仰ぎ、見事な枝振りを眺めている。
「ほんとうに、綺麗だわ。花びらの色が淡くて、それにとってもいい香り」
 沙耶がうっとりを瞼を閉じる。
 沙耶とユウキによる浄化が終わったとき、何もなかった枝に急に蕾が膨らみ始めた。
 映像の早回しのように、蕾が現れ、次々と花を綻ばせていった。
 一瞬のうちに、すべての花が咲き、五人を包み込んでいた。
「最後だから、こんなに綺麗なのかな・・・」
 ユウキが呟く。
「いや、この人は、いつだって最高に美しかったさ」
 湊は、自分の隣に座っていたユウキの頭をぽんと叩いた。
 柔らかな風が、枝を揺する。
 花びらはもう、零れ始めている。
 白い花弁が、ちらちらと辺りを埋めていく。
 五人は、最後の花弁が散り終わるまで、一足早い花見の席を楽しんだ。
(了)
その2へ戻る
連載終了しました! いかがでしたでしょうか? 零能者ってなにができるんだろうって考えると、この設定って難しいことに気づきます。原作の先生はこんな難しい設定でお話を作り上げていらっしゃるのだから、やっぱりすごいです! 少しでも何かを感じていただけたら嬉しいです。最後まで読んでくださってありがとうございました。