今まで寄りつきもしなかった住人たちが、こぞって興味本位の視線を投げている。
公園の中は、幾人もの警官と刑事、検死官も混じって、桜の古木周辺から公園全体へと、調査が進められている。
警官たちが丁寧に掘り出した遺骨は、ブルーのビニールシートの上に安置されている。人間一人分のパーツが揃うまで、もう少し時間がかかりそうだ。
ユウキは、砂場の縁に立ち、瞼を閉じて経を唱えている。警察の作業が終わるまでの間、乱れた場と、桜と混じり合い行き場と形をなくした魂を鎮めるためだ。
沙耶は、ユウキから少し離れた場所で、梓弓を携えたまま、桜の樹と向かい合っている。御蔭神道からの連絡により、警察が到着するまでの間に、邪気となってしまった桜の気を、しばしの間、その根元に留める術を施した。その結界が緩まぬよう、注意を向けている。
警官たちは、少年と少女が、総本山と御蔭神道から派遣された術者であることは理解していても、やはり、二人の常人ならぬ様子に、どこか落ち着かない様子だった。
そして、そんな彼らを、遠くからのんびりと眺める者が一人。
ベンチを独り占めして、四肢を伸ばしてだらしなく座っているのが、二人の能力者のお目付役ともいえる湊だ。
彼の名もまた、その手の事件を扱う警察などでは知られていたから、現場から追い出されることはなかった。
だが、零能者の湊には、今できる仕事はないとばかりに、携帯をいじくったり、ポケットに押し込んでいた文庫本を取り出して読みふけったり、その合間につまらなそうに捜査の様子を眺めたりしている。
「九条さん」
湊が捜査の様子から視線を外し、手にしていた文庫本に戻したときだった。
一人の中年の刑事が、湊のいるベンチの前に立った。
「あんたか」
「お久しぶりです、九条さん。二年ぶりですね」
中年刑事は、無愛想な湊に動じる様子もなく、丁寧に挨拶をした。
「昇進したんだ?」
湊が知っている彼は、制服警官だった。今は私服姿で、スーツの上にベージュのコートを羽織っている。ということは、昇進した以外に理由はない。
湊のそんな不躾な一言にも、彼が気分を悪くする様子はない。
「おかげさまで、去年から刑事課一課に配属になって、やっと制服ともおさらばです」
ふーんと、興味なさそうに曖昧な返事がきても、人の良さそうな中年刑事は優しい笑みを浮かべるだけだ。湊の扱いは慣れているらしい。
「で?」
湊が先を促すと、刑事は笑顔を引っ込めて、手帳を開いた。
「ご遺体の身元が判明しました」
この男は、遺体を仏さんなどと呼んだりはしない。昔から、そういう男だった。生きている者にも、不幸な死に方をした者にも、出来る限りの礼を尽くす。
彼と良く顔を合わせたのは、孝元や理彩子と共に、怪異事件解決のために、あちこちを飛び回っていた頃だ。警察が絡むことも少なくない事件の中で、彼はいつも、総本山や御蔭神道と、警察のパイプ役のような仕事をしていた。いわば雑用なのだが、彼がいたから、双方が互いの利や縄張り感情に走ることなく、スムーズに仕事をすることができたといえる。
刑事になっても、怪異の絡む事件に関わり続けるのは、彼の本意なのだろうか。
ちらとそんなことが過ぎったが、湊は、刑事の報告に注意を戻した。
「八年前、ここから二つほど離れた駅の並木町というところで、少女が行方不明になりました。今回ご遺体と一緒に見つかった服が特徴あるものだったので、すぐにわかりました」
「特徴ある服って?」
「着物です。失踪した日は、家で親戚などが大勢集まって、祝い事をやっていたそうです。今どき珍しくらいのすごい旧家なので、着物を着て祝いの席に出るのも当たり前だそうで」
「詳しいね、あんた」
「そのときの失踪届、実は私が受け付けしたんです。偶然ですが・・・遺骨と一緒に出てきたのが着物だったので、もしかしてと思い、署に連絡して調べてもらいました」
この男が、制服警官から刑事に昇進するのも頷けた。昔から、こういうところがあった。勘がいいとか運がいいとか、そういうものではない。必要な情報を正しくかつ冷静に分析する思考能力を持っているのだ。
自分と似たところがあると、湊は常々思っていた。
ただ、彼の言葉を聞いて、やはりなにかを感じないではいられなかった。御蔭神道からの依頼書を読んだときに感じたのと同じ気持ちだ。
彼は偶然と言った。
けれど・・・
「偶然じゃないのかもしれない」
「え?」
ぽつりと呟かれた湊の一言に、刑事は湊をきょとんとした顔で見下ろした。
「遠藤さーん!」
刑事を呼ぶ声が、彼の背後から聞こえてくる。遠藤刑事は、すぐ行きますと丁寧に返事をして、再び湊に向き直った。
「九条さん、偶然じゃないってどういう意味ですか?」
「なんとなくそう感じただけだ」
湊の返事に、遠藤は納得できないという顔をしてみせた。普段の湊なら、こんなことは言わない。
九条湊という男は、確実になるまで自分の中に留めておき、着々と足固めをしていく。まるで、こっそりと罠を張り巡らせるように・・・。そして最後に、完璧なる罠の中に対象を追い込み、捕らえる。そういうやり方を好む男だった。
そんな彼が、口を濁すような言い方をした。遠藤はそこが納得できなかった。
でもこれ以上問うても、湊は何も言わないだろう、ということもわかっていた。
遠藤は後ろ髪を引かれる思いで、では失礼しますと、踵を返した。
「遠藤さん」
湊が呼び止めた。
湊の長い腕が持ち上がり、桜の樹を指差した。
「あの掘り起こした土と桜の樹、こっちで処分させてもらうけど、いい?」
「あ、はい。サンプルは取りましたんで。やっていただけると助かります」
「うん、もう手配してあるから。明日、業者が来る。午後一時頃、あんたもここに来てもらえる?」
「はい。解りました」
いつもの優しい笑みを浮かべる。
「やけにスムーズだな。現場保存はいいのか?」
「あ、実は、事件の方はすでに片が付いているんです」
言い忘れました、すみませんと遠藤は謝った。
遠藤の話によれば、家族が失踪届を出した翌日、事情聴取のため警察がその家を訪れ、集まっている親戚を一人ずつ呼んで、調書を取った。そのとき、一族のうちの若い男が、自分が誘拐して殺して埋めたと、自白したのだという。
その男は、家族と警察官の前で、突然取り乱し、自分のしたことをすべて吐き出すと、あらかじめ用意していた毒を飲み、止める間もなく自殺を図った。男は助からなかった。
同じ一族とはいえ、その男が少女の一家を恨んでいたことは、彼自身の口からも明らかになっており、怨恨による殺人と容疑者の自殺ということで、事件としては片が付いていた。
ただ男は、少女を埋めた場所だけは最後まで口にしなかったという。
「男が殺したと、信じる理由は?」
湊人が問う。
「そのとき、男は少女のものと思われる身体の一部を持っていたのです。そして、あのご遺体には、左の小指の先がありませんでした。正式なDNA鑑定はこれからになりますが」
なるほどと、湊人は頷いた。
現場では、ビニールシートがそっと閉じられるところだった。回収が終わったのだろう。
遠藤は軽く会釈すると、仲間の警察官のところへ早足で戻っていった。
それから一時間の後には、公園には誰もいなくなっていた。
湊と沙耶とユウキ、そして桜と少女の思念以外は、誰も・・・
大きく穴の開いた桜の根元を覗き込むように、三人は佇んでいた。
陽はだいぶ傾いていた。
最初に感じた異様な肌寒さは、邪気を結界に閉じ込めたことと大勢の人間の立ち入りによって、なくなっていた。今、少し寒いと感じるのは、純粋に陽が陰り気温が下がったためだろう。
「寒そうだね」
ユウキは、遺体を掘り出すために土を抉られ、剥き出しになった木の根を見つめていた。古木に相応しく、その根は四方にしっかりと伸ばされている。しかし遺体が埋まっていた場所だけは、まるで避けるように、根が曲がって伸びていた。
「この穴、埋めるの?」
ユウキが右隣に立つ湊に問うた。
「やってはみるけど」
湊の答えはぶっきらぼうだ。
「埋めてあげないと可哀想だよ」
ユウキが、掘り出して脇に積んである土の山に手を伸ばそうとした。
「触るな」
湊の腕が伸びて、ユウキの手を掴んで止めた。
「なんでだよ!」
「その土はダメだ。汚染されている」
「汚染?」
「人が死んだらその身体がどうなるか、知っているか?」
湊の問いかけに、ユウキも沙耶も息をつめて湊を見つめた。
亡くなった者の魂がどうなるかについては、職業上、いろいろな経験から知識もあるが、身体についてはどうなるのか、二人は知らなかった。現代日本では、火葬に処せられるのが通常だからだ。
湊は掴んだままだったユウキの手を離すと、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
(ご注意:ここから先、湊のセリフですが、不適切な部分があるかなと判断しました。このお話の展開上、必要なことなので掲載はしますが、お目に触れないよう、文字の色を背景色と同じにしてあります。今はまだ震災の余韻が強く、みなさまにネガティブな不快な思いをお伝えすることは心苦しいので、このようにさせていただきました。それでも大丈夫、という方のみ、カーソルで選択し反転してご覧ください。それほど激しい描写があるわけではありませんが、なんとなく嫌だなというニオイを感じた方はお避け下さい。ご自身のご判断にお任せします)
ここから↓
「死には、いくつかの段階がある。硬直と弛緩もその一つだ。ある程度時間が経つと、身体から液体が出てくる。それはアンモニアなどの有害物質を含んでいる。それが土の中に染み出す。染み出した土壌は汚染される。土に還るなんて言うが、その過程の中には、土や植物にとって有り難くないものもある」 ここまで↑
「根っこが避けるように伸びていたのは、そのせいですか」
沙耶の問いに、湊は視線を送るだけで肯定した。
「桜の樹が、邪気を纏うようになってしまったのも、そこに人が埋められていたからなんですね。少女の魂と、汚された土に苦しんだ桜の魂が、混じり合って、邪気になった・・・」
「巫女であるおまえがそう思うなら、そうなんだろう」
「だったら土をキレイなものに取り替えてあげればいいんじゃないの? あの女の子の魂を助けてあげて、新しい土にしてあげれば、桜の気も苦しまなくてすむ。花だって咲くかも知れない」
ユウキが湊を見上げた。
「土はもう頼んである。こういうのに詳しい知り合いがいる。明日、新しい土を持ってきて貰うことになっている」
花が咲くかどうかはわからないがと、湊は言った。
「この土はどうするの?」
「それも処分してくれる。というわけで、今日の仕事は終わりだ」
帰るぞ、と湊は桜と二人に背を向け、歩き出した。
二人の能力者が湊の後を追う。
「あのまんまでいいの?」
ユウキが湊の革ジャンの裾を引いた。
「まだ警察の立ち入り禁止テープが残ってる。明日までなら大丈夫だろう。怪奇が噂される公園で事件発生なんて、誰も入りたいなんて思わないだろうしな」
言いながら、湊は黄色いテープをくぐった。
「先生は」
沙耶が立ち止まる。
零能者と能力者が、テープの外側と内側に分かれて、向き合う形になった。
「先生は、最初から原因がわかっていたんですか?」
沙耶の問いに、湊は桜の方へ視線を向けた。
「桜だしな」
湊の声が、ぽつんと公園の境に落ちた。
震災はまだ続いているという状況の中で、こんな展開のお話で申し訳ありません。気分を害されないといいのですが・・・。やっぱり書かなければよかったかな・・・。サイトから下げた方がいいと思われる方がいらっしゃいましたら、遠慮なくご連絡いただけると助かります。自分だけでは判断が難しくて・・・。怪異がらみだと、楽しめる話題にならないですね。このお話は次で完結予定です。次の新しいお話はもっと明るくいこうと思います。もう少しお付き合い下さい。